息子の事故について書いてきた続きです…
 
どうしてブログで今になって書いているかは、過去のブログ記事をご覧頂けましたら幸いです
 
 
 
③の続きから…
 
事故翌日の朝、目の前に横たわる息子を見て現実を受け入れた私
 
やはり夢ではなく、息子は目の前に瀕死の重傷で横たわっていました
 
もうこの現実を受け入れるしかないと、頭の中で自分に言い聞かせた事を覚えています
 
ただ私がどうしよう、困った
何と言えば良いんだろう
 
と、次に考えたこと
 
それが息子の大学にこの事実をどうやって伝えようということでした
 
息子は、アメリカ政府からスカラーシップを頂いて大学に通っていました
 
寮費、学費、教科書代や食費まで全額
金額にすると大学卒業まで約5000万円を全てアメリカという国から出して頂ける事になっていたため、
 
息子に何かあったら直ぐに大学に連絡をしないといけないことになっていたのです
 
息子はこの大学に入る事が小さい時からの夢であり目標でした
 
就きたい仕事があり、そのためにはどうしてもこの大学に入りたいと思っていたようで、親子してその目標のために何年も何年も努力をして、やっと合格した矢先の事故でした
 
事故=退学
 
スカラーシップを頂いている中での事故、間違いなく私の脳裏には退学になるな
 
という思いがよぎり、すぐに大学に連絡が出来ず、何と伝えたら良いのだろうとそればかり考えていたように思います
 
 
そんな事を考えながら、目の前の息子を何とか生かし、長期戦になるであろう看病とこれからの生活をどうしようかと考えていた事故翌日の朝、
 
ナースが息子のICUの部屋に入ってきて
 
身につけていたものから学生証を見ましたが、息子さん、○○大学の生徒なんですね
私たち病院は、○○大学の生徒さんなら、大学に事故の事を伝える必要があります、こちらから連絡しても良いですか
 
と、言うのです
 
親として、連絡義務があった私でしたが躊躇していたため、即、ナースに
 
お願いします
 
と伝えました
 
すると30分も経たないうちに、ICUの息子の部屋の電話が鳴りました
 
周りの誰もがまだ息子の事故を知らないときです
 
いきなりの電話は間違い電話だろうと出てみると、それは病院から連絡を受けた大学からの電話でした
 
連絡せず申し訳ありません
と、謝る私に、連絡をくれた大学の担当者の方は
 
事故直後に連絡なんて直ぐに無理に決まっているから何も問題はありません
それより今からすぐに、教授を一人そちらに行かせます
何も心配しないで、その教授が全ての手続きをしますから、全て任せてください
 
困ったこと、必要なものも全てその教授に遠慮なく伝えてくださいね
 
と言ってくれました
 
今からこちらに来る
飛行機で6時間もかかるのに
 
アメリカは巨大な国です、国内のフライトでも長ければ6〜7時間かかるのです
 
そして、教授は本当に車で1時間かけ空港まで行き、6時間のフライトの末、病院まで来て下さいました
 
教授が到着する前にも、大学が至るところに連絡をしてくださり、
 
牧師さん(クリスチャンが多いアメリカでは、こんな時、家族が神さまに祈るため)がきたり、息子と同じ大学を卒業した見ず知らずの方々が、
 
同じ大学を卒業したということは、家族も同然だから
と、お見舞いやお花を持って次々と病室を訪ねてくれました
 
到着した教授は、なんと息子が大学に入る前からお世話になっていた先生でした
 
大学側が配慮してくださり、よく知っている先生の方が私たち家族が安心するだろうという配慮からでした
 
そしてその先生はなんと、
自分は1週間〜10日、病院の近くのホテルに泊まります、病院の手続き、保険の手続き、看病、あなた方家族の食事の世話でも何でも必要な事はするので、遠慮なく何でも言ってください
 
ご家族は看病だけに専念してください
 
と言って下さいました
もちろん、大学からの配慮なのですが、
 
この時は、遠くの親戚より近くの他人
ではありませんが、人の優しさ、思いやり、周りの皆さまにいかに助けられて成り立っていたかを改めて感じました
 
 
息子の事故で家族全員が学んだことは、命の大切さだけではなく、
 
周りの皆さまに支えられ、助けて頂いて日々成り立っているということです
 
私は事故以来、平凡な日常は当たり前ではないと思うようになりました
 
 
 
 
続きはまた…
 
 
それでは皆さま、
Have a nice day 
 
 
 

 

 

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