6月13日  (晴れ)





子育てをしていると
正直、とてもとても面倒くさいことが多い。

例えば、明日いるものを前日の夜に
ないと言われ、買いに走ったり

探し物が見つからないと
何度も何度も一緒に探したり。


これがまた、すべての家事を
終わらせてから
ようやくベッドで休み始めた頃に
始まったりする。





今までの正しいであろう育児は


「何度も早めに用意しようっていったよね?

なくさないようにお部屋も片付けようって
話したし。

前日の夜になって
こんなバタバタしてても知らないよ?

こらからはどうこう…」



ってことを語りながら

黙々と手伝うパターン。




でも、このセリフね

ものすんごい怒りをこらえて
押し殺して出してるセリフであると
同時に

こんな本音を隠している。



「うわ、めんどくさ!なんでまた同じこと
してんの!  せっかくゆっくりできると
思ったのに。

買いに行くか、探すかしないと
困るやろうし、

また、へんなの買うと使えへんし
参ったなー。


というか、もう寝たいしなぁーー。


あーーーーー

でも、怒ったらあかんから
抑えて話さないと。


がまんがまんがまん。。



…(ここで先程の台詞にはいる)







親の本音ってこんなもんだと思う。

少なくとも私は笑


だけど、そんなこと言ったら
親らしくないし、第1カッコもつかないから

正しいであろう大人な発言を
選ぶ。




ここなんだよね。
親がしんどくなるポイントは!!!






昨晩、そんなことがあって
タプさんと話しながら
なんとかならんもんかな…って会議。


でた結論は、


「親も本音で話そうよ」


ってことでした。



君がいかに普段からできていないか、
淡々と語るのもいいけれど

子供からしたら、
「わかったら、そんなことより探してほしい」

ってのが先に来て
あんまり耳に入ってないはず。

だからこそ、こんなに繰り返しているわけで。



そして、そのダメさ加減を
ありがたーーく説法してるその時間も、親の体力は
消耗されているわけで…。



と言うわけで

親の器がどんなにミクロなのか
いや、もはやナノレベルなのか

完全に子供にもオープンにしてみることに
した。




明らかに子供の責任で
とってもめんどくさいコトが起きた時。


「だからいったじゃない!こないだからどうこう…」

ではなく


「え!今から探すの!!?

うわっ、やだ、めんどくさいよ!

もう寝たいんだもん!他のものじゃ
代用きかないの??


えーーーーーっ、まじかよ
ねたいよーーーー!!!」



と、両親共々ぐずってみることに。





すると、ものが見つからないことに
イライラ怒り出していた娘も


「ないんだもん、ムキーーーッ」
っていってたくせに


両親ふたりのぐずりように
笑けてしまうのだ。



「え、いやいや、ごめんよ、
悪いけど手伝ってよ笑笑」


「えええぇぇぇぇーーー」

「しゃあないな、なんなんもーー
めんどくしぇーーー」



なんて言いながら
笑いながら探している家族。








あれ?


これなんかすごく楽だ。





親としては酷いのかも。
立派ではないかも。

だけど、自分の本音を
伝えてるよね?

そしたら、子供って
どうせそんなこと言ってても
めんどくさいだけでしょ?みたいな
顔をしなくなって


仕方ねー奴らだって
笑ってくれてる。





親の器なんて
小さくていい。

そのまんまのしょうもなさを
見せて、みんな
本音で生きてたら


我慢しなくて
いいんだ。って思えた。



そら、所々
大人としてのアドバイスはいるかも
しれないけれど

キッズたちは、大人が思うより
何倍も感覚も頭もするどい。


バレバレなのだ。





「ありのままで
生きてみよう。」

「ダッセー親だけど、まっすぐ
向き合ってみよう」



我が家はまた、
新たなスローガンをもとに

挑戦してみようと
決めたのでした。


タイトルは
「ナノレベルで愛してる」作戦。



どんなに小さな器でも
お互いに愛してやろうってことです。






人は、自分がダメで仕方ないことを
さらけ出した時

人のダメなところも
受け入れてあげたくなるもので。



真面目に

我慢して

兄妹より認めて欲しくて。


頑張って来た人こそ
やってみてほしい。



親も子供も関係なく
足りないところを見せ合って
補いあって生きれたら


それが、一番
人らしい生き方だとおもう。




娘も、そのまた子供も
そのままで生きていてほしい。



とことん情けないけど
ダメなやつに育っていい。



本当に「ダメなやつ」なんて
どうやっても
人はなれないから。



存在しないから。



これから、期待しながら
やっていきます



「誰かの考えた常識なんて、
私の家族には、いらない」






それより、私は
彼女の笑う顔が見たい。





では



おやすみなさい